週刊少年ジャンプの新連載『チェンソーマン』 一言で言えば“らしくない”
2019年01号で連載が始まった作品『チェンソーマン』。
読み終わった後に、この世界観と絵がもう『ファイヤパンチ』じゃん。
と思って調べたら、ファイヤパンチと同じ作者・藤巻タツキさんの作品でした。
なんとも少年ジャンプらしくない作品。
グッロ。
血多め。
皮膚の下の肉の露出多め。
どちらかというとこの記事↓で紹介した少年ジャンプ+に載っている作品のような。
www.gasyan.comこのサイト(アプリ)には王道ジャンプ作品とは少し毛色の違う作風の漫画がたくさん載っています。
その中の『檻の中のソリスト』とかに雰囲気似ている。
めっちゃ悲しいストーリだけどおもしろい。
『友情・努力・勝利』なんかどっかに吹き飛ぶくらい報われないストーリー。
そもそもの前提がバトル漫画とは根本的に違うから強くなればなるほどよけいに悲しくなる。
人を殺していくたびに大事な何かを失っていくという。
最後に勝ったとしても!
そもそも戦いやぶっ飛びイベントなんか何も起きなければよかったという生き方をしてたところでのハプニングだから。
最初から幸せでもなかったんだけど、なんかどんどんマイナスになるやつ。
『チェンソーマン』は現在2話までガシャン視点だと±0かな。
最初の1ページ。借金を背負った主人公の少年、デビルハンターのデンジが今まで売ってきた自分の臓器とまだ売れる臓器について話すシーンから始まる。
利しか追わない、他は子供だろうがボロボロになるまで使い捨てるクソみたいな世界で虫けらのようにに生きながらえる生活。(貧しい場所だから)
こういうところは『ファイヤパンチ』にも共通していて、この作者の作品は悲壮感が強くて、なぜなのかと考えると、主人公が“欲深くない”という特徴があります。
大きなものは望まずに小さな幸せを抱きしめていたいだけなのに、それを理不尽にも崩されていく感じ。
キャラクターの無欲感の描き方がうまい。
ただ言葉で、『普通に生きたいだけなのに・・・』とか発するんじゃなくて、しぐさとか表情、あるいは独り言のように欲しいものや手に入れたい生活をつぶやくシーンがこれから起きる残酷な出来事をすごい引き立たせる。
常にどこか諦観のような達観したような雰囲気をまといながら、同時に誰よりも渇望してる心が透けて見えるような表情としぐさをしている。
藤巻タツキ作品のキャラはこういう一般的には愛情表現に見て取れる行動をするけど、次の登場シーンでは平然と裏切ったり(それも一種の愛情表源?)する“読めないキャラ”が出てくる。
『愛してる』『好き』といった言葉も発言者の心境が必ずしも文面通りとは限らずにものすごくキャラの内面を読み取るのが難しい。(というより受け取り手が思う“愛”と方向性が違うような)
それと前半で必ず、もう二度と取り戻せないモノを1つ展開に組み込む。(読み手としてはこれだけはもうダメだろ。元には戻らないだろ。と思わせる絶望的なモノ)
『ファイヤパンチ』だったら妹の死や自分の体を燃やし続ける二度と消えない魔法の炎。
全体を通して意外性や驚きが強い反面、理解しにくいシーンも多く、でも読み込む価値のある深さを持ってるし興味深い。
それにこんなぶっ飛んだ世界だからこそ無骨で複雑な人間の生き方にリアルを感じさせる作風だと思う。
きっとこの作品もそういうストーリー展開になっていくんじゃないかなーと思う。
これからに期待。