スタンド解説『メイドインヘブン』【ジョジョの奇妙な物語 第6部 ストーンオーシャン】

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DIOが残した「天国へ行く方法」の最終条件を満たすことにより、「人類の絶対なる幸福を望む者」であるプッチ神父と、「人類の正しい結末を宿すもの」である緑色の赤子が完全融合して誕生したスタンド。人の上半身に馬の前半身を下半身のように付けた姿を持ち、その背中と臀部(馬の途切れた胴体部分)は1本のパイプで結ばれ、馬の口に嵌められた轡(くつわ)から伸びた手綱は人部分の手によって繰られる。また、人部分の顔の両目と鼻があるべき場所には1つの大きな円形の、時計の文字盤かメーターを思わせる計器が嵌め込まれたようになっており、これと同じものは馬部分の額や両手の甲など身体各部にも嵌め込まれている。

■「今」という時の束縛から完全に解き放たれたスタンドであるメイド・イン・ヘブンは、自らが本来あるべきところ、遥か未来の「時の果て」に眠る「人類の正しい結末」からの重力に引き寄せられ、地表から宇宙へ飛び立つスペースシャトルのように、時の中を「今から未来へと落下していく」能力を持つ。

■またメイド・イン・ヘブンが持つ強大な魂の重力は、世界中の全ての生物の精神と肉体をも「今」から引き剥がして時間方向に引き寄せる。これにより世界の全生物もこのスタンドと共に「未来」へと旅立つことになる。(なお、このスタンドの姿はおそらく、人部分が魂の重力を生み出し全生物を乗客として運ぶ「シャトル」の役割を、馬部分が時の果てからの重力を推進力として飛ぶ「ロケット」の役割を、それぞれ担っていると考えられる) 

メイド・イン・ヘブンが誕生して未来へと「発射」される瞬間、その姿は(シャトル発射時の轟音のように)目も眩むような閃光を発し、周囲に居た者は(シャトル発射時の爆風のように)強制的に200mほど遠ざけられる。生物たちは「未来」に飛び立つ際、慣性の法則によっていったんメイド・イン・ヘブンに置いて行かれるが、しばらくもすればメイド・イン・ヘブンの上昇速度に追い付き、以降メイド・イン・ヘブンと全生物は同じ時間に並んだまま上昇を続けていくことになる。

メイド・イン・ヘブンに導かれ「今」から飛び立った生物たちは、このスタンドとともに時間の中を加速しながら「時の果て」へと上昇して行く。そしてこの間、生物たちに対して非生物の物理現象は、上昇速度に比例してビデオの早回し映像のように速く流れていく。(手から離した物は一瞬で地面に落ち、太陽や星々は目にはっきりと分かる速度で空を巡るなど) これはつまり、例えば人間が走る30倍の速度で移動する新幹線の中では、窓の外の景色は走る30倍の速度で背後に流れていくのと同じことであり、時間の中を通常の30倍の速度で進む生物たちから見て、非生物の物理現象は通常の30倍の速度で「過去へと流れていく」わけである。(そして自分たちが時の中を速く進んでいるという自覚の無い生物たちは、この現象を見て「時が加速している」と感じる)

  ■なお「時の加速」中でも、生物の肉体にかかる地球からの「重力」や、運動する非生物がぶつかるなどして受ける「運動エネルギー」は通常時と変わらないようである。また「時の加速」中に生物が死んだ場合、非生物となった死体はメイド・イン・ヘブンの重力が引き寄せる対象外となって「上昇」から脱落し、他の非生物とともに「過去へと流れていく」ことになる。 ■上記のようにメイド・イン・ヘブンの能力下では、生物から見て非生物は目まぐるしく変化し、その速さについて行けない状態にある。ただし唯一、この能力の本体であるプッチ神父だけは、この状態の中でも「非生物の時間の流れに自らの精神速度を合わせる」ことが可能である。(ただし肉体のほうは他の生物と同様時間の流れに置いて行かれている状態のままである) 

■この状態のプッチ神父には、周囲の非生物の時間は通常どおりに流れているように見え、自らの肉体も普段より負荷はかかるものの精神の速度に合わせて動かせる。またこの状態では、プッチ神父は自らの肉体にかかる重力を、精神速度に反比例して軽く感じることになる。この結果プッチ神父は、数10分の1の低重力下で跳ね回る動きを、他の生物から見て数10倍の速度で行うことができ、その目にも止まらぬ動きから繰り出される超スピードのスタンドの手刀は鋭利な刃物のように敵の肉体を鋭く深く切り裂く。ただし、「時の加速」が速まるほどにプッチ神父はその速度に完全に合わせることはできなくなっていき、作中での描写を見る限り最大50~60倍ほどの動きが限界のようである。

■「時の果て」へと落下していく能力であるメイド・イン・ヘブンは、能力発動から時間が経つほどに落下速度が増していき、生物から見た非生物の速度は数百・数万・数億倍……と際限無く加速していく。(例えば10万倍の時点では1秒足らずで1日が経過する) その中で生物たちは、昼夜の点滅を超え光の帯と化した太陽が白夜のごとく空を灰色に照らし、建造物や自分の衣服がどんどん風化して崩れ去り、大陸プレートの移動で変化していく地形がそれと同じ速度で風雨にならされていくさまを目撃する。こうして加速度的に崩壊に崩壊を重ねていく世界がそれ以上崩壊できなくなったところ、そここそが世界の終わり、「時の果て」である。

■「時の果て」は、物理的に言うところの「エントロピーによる熱的死」を迎えた世界である。そこには生物以外に形あるものは何も無く、ただ「何物でもないものが均質に存在する」のみである。そしてこの状態は、世界が誕生する前の「時の始まり」と物理的に全く同じ状態でもある。世界が「何らかの姿を持つ」間は、その姿は無限に等しいパターンを持ち、そのパターンが違う時間において全く同じとなる可能性は有り得ない。しかし、世界が「いかなる姿も持たない」「時の果て」と「時の始まり」においてのみ、そのパターンはたった一つであり、確実に同じ姿となる。ゆえにこの2つの時間は物理的に結ばれ、時は「環」となってループし、終わりからまた始まる。そしてこのような性質を持つがゆえにそこは、「特異点」と呼ばれる。

■重力の源である「時の果て」へと辿り着いた時点でメイド・イン・ヘブンの「落下」は終わる。しかしメイド・イン・ヘブンはそのまま「特異点」を突き抜け、以降はここまでで得られた速度の慣性によって、減速しながら時の中を「始まり」から時の加速が始まった「今」へと戻ることになる。そうして時を一巡し、時の旅を終えた生物たちは、前の地球とは似て非なる新世界へと降り立つ。

■時の一巡によって辿り着く新世界は物理的には、「一巡してきた者たちの存在を絶対として世界の残りの部分を補完・再構成した」世界である。前述したように、世界は無限に等しい姿を可能性として持ち得る。その無限の姿の中には、地球が存在しない世界も、人類が誕生しなかった世界も、我々とは違う歴史を歩んだ人類の世界も、とにかく物理的に可能な全ての姿がある。そのような無限の姿の中から、「一巡してきた者が」「その時」「そこに」存在することが必然となる姿が選択されたもの、それが新世界の姿となる。

■このため新世界は、外形的には一巡前の世界とほぼ同じ姿となる。なぜなら「一巡してきた者たち」の存在がその世界で必然になるということは、つまりは前世界でその者が存在するに至った過去の事象も、新世界ではほぼ同じように存在したということになるからである。新世界には太陽・地球・大気といった人間が生存するのに必要な環境はもちろん、生命が誕生・進化し恐竜が滅び人類が誕生した生命の歴史も、人々が集まり国家を形成し争ってきた人類の歴史も、その舞台となった大陸・山脈・海洋の地形も、人類が発展させてきた文明の産物である建造物や道具も、瑣末な違いはあるかもしれないが、ほぼ変わることなく存在する。

■ただしこれら世界の変化はあくまで副次的なものでしかなく、メイド・イン・ヘブンには真の目的がある。それは、ある存在の意思のもとに世界を生まれ変わらせ、世界と全人類に「運命の夜明け」を迎えさせることである。

 

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